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自動車合宿 フルバージョン

 すでに「自動車合宿」は、いつものブログ「私の独り言」で公開してあるが、今回はフルバージョンを公開します。30歳になったばかりのことです。

 

 平成10年12月の終わりから平成11年2月1日まで、鳥取県へ自動車合宿に行った。寮では他の学生とよく喧嘩をした。携帯電話の会話(この頃はガラケー主流だった)、仲間同士の話し声、友達同士喋りながら風呂に入る音、その他の生活音が苦痛でしょうがなかった。煙草の臭いも我慢できなかった。しょっ中「うるさい! 静かにして」、「室内で煙草を吸うな!」などと文句を言った。彼女たちは「共同生活だから」と言いわけしたり、「そんなに嫌ならホテルに移れば!」と反抗したりした。あまりにも生意気な女子高生に腹を立て、暴力を振るってしまったことがあった。

 他にも不満があった。部屋中、落書きだらけで落ち着かなかった。隙間という隙間は落書きで埋め尽くされていた。また、野良猫が頻繁に自分の部屋に入って来るので気持ち悪かった。自分の布団の中にいることもあった。部屋には非常用のボタンがあった。あるとき、それを押して猫のことを話したら「明日事務所に言いなさい!」と厳しい口調で言われた。「猫が来て困っているんです!」と言い張ったが、相手にしてもらえなかった。聞き覚えのある声だった。どうも教官が交代で宿直をしているようだった。仕方がないので、猫が部屋にいるときは何かを投げたり棒で突いたりして追い払った。

 この学校では、以前、自転車や電気ポットの貸し出しをしていた。けれども、今はそういうことはしなくなったので不満でしょうがなかった。「同じ料金を払っているのに不公平だ! 喉が渇いてたまらない。必要な物を買いに行けない!」などとよく事務所にグズグズ文句を言った。あまりにも度が過ぎていたので、事務所の責任者はとうとう怒り出してしまった。「もう帰ってもらうよ!」と言われた。その後、他の学生とトラブルが絶えないことも指摘された。合宿業者にもしょっ中不平不満をたらたらとこぼしていたので嫌がられていた。

 食事の量が足りず自動車合宿内の食堂のおばさん、Aさんに何回か文句を言った。ある日、カレーライスの大盛りを注文した。大盛りは100円追加だった。それなのに、普通盛りとほとんど変わらなかったのでAさんに苦情を言った。料金はそれ以上払わずにもう一杯よそってもらった。

 それ以降、Aさんに辛く当たられるようになった。私はいつも朝の8時きっかりに食堂に入るようにしていた。授業は9時から始まるので、ゆっくり朝食を摂る時間が欲しかった。あるとき、「そんなに早く来られても準備できない!」と文句を言われた。「食堂は朝の8時から始まるのに何で8時に来ていけないの!」と腹が立った。別のあるときは、「食事が終わったら椅子を中に入れておきなさい」と怒られた。「客に向かって何だ! その態度は!」と思った。顔を見れば言い掛かりばかりつけられた。しかし、この間事務所の責任者にきつく警告されたので、Aさんの接客態度を事務所に文句言っていくわけにはいかなかった。Aさんに何を言われてもただ黙って耐えるよりしょうがなかった。

 寮の部屋には水道がなかった。この寮に来たばばかりの頃、部屋に水道がないことについても文句を言った。仕方がないので母親に水筒を送ってもらって、毎日A食堂にお茶をもらいに行った。なぜなら、Aさんに嫌われる前、「毎日お茶をもらいに来てもいいですか?」と尋ねたら「いい」と言われたので。お茶は最後の最後の日までもらいに行った。どんなに嫌な顔をされても、どんなに嫌なことを言われても……

 食券が利用できる飲食店は合宿外にもあった。たまには外で食べようと思い、あるお好み焼き屋さんに入った。食事の後、おばさんに「〇円払って下さい」と言われ一瞬戸惑った。「何でお金を払うのですか? さっき食券を使えると言ったのに!」と文句を言った。そしたら、「不足分を頂きます」と言われた。合宿外でも、A食堂と同様に、食券を出せばタダで食べられると思っていたので実に不愉快だった。

 A食堂は、荷物宅配便の集荷場でもあった。帰るとき、Aさんに「この荷物はどこに置けばいいですか?」と尋ねた。Aさんは椅子を数台並べてその上に寝転がっていた。その姿を見る度に「だらしないぁ!」、「うっとうしいなぁ!」と思っていた。Aさんは苦々しい顔で「その辺に置いといて!」と言った。「ちゃんと丁寧に言ったのに何だ! その態度は!」とはらわたが煮えくり返った。腹いせに「何だぁ! 糞ババアー!」などと暴言を吐き捨てその場を後にした。