自分の体験したこと

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ホームステイ②

1度目のホームステイ先を追い出されたいきさつ

 日頃から水道光熱費についてはうるさくてしょうがなかったのでうまく行っていなかった。婆さんは日本人の金髪を嫌がっていた。ある日、病院で髪を金髪に染めた。婆さんはぐずぐずと何か言っていた。その時、婆さんはアイロンをかけていた。私は、「taste differs.(人それぞれ)と婆さんに言った。そしたら婆さんは、「Yes, taste differs.」と同じ言葉を言った。その日の晩ご飯の時、婆さんは「この家を出て行ってもらう。別のホームステイで楽しんでください。I need a break.」と言ってきた。すぐに追い出されはしなかった。

 何週間も滞在していたので、だんだん手持ち金が寂しくなってきた。母親に頼んで送ってもらおうとした。両親の金ではなく、私が日本で働いた金である。犯罪に遭った時のために全財産をニュージーランドに持って行かなかった。お金を送ってもらうには母親に連絡しなければならない。電話代を払うから電話を貸してと婆さんに頼んだら断られた。明日、学校で借りなさいと何度も言われた。1日も早くお金が必要だったので、貸し渋る婆さんが憎たらしくてしょうがなかった。どうとう我慢しきれずに大声で騒いだ。そしたら婆さんは、「前の生徒の時、5万幾らも請求書が来た!」と大声で言い返された。前の生徒(私の直前の生徒とは少し違うが)は、コレクトコールと嘘ついてしょっちゅう老夫婦の電話を使っていたらしい。そんなこと私には関係ないだろ!

 喧嘩の後、風呂に入り(湯船は絶対に使うなと言われていたがその日は使ってやった)、落ち着いた頃にリビングで爺さんと出くわした。爺さんは、「さっきのこと、明日学校の責任者に話しなさい」と言った。

 次の日、昨晩の喧嘩の話をした。学校には日頃からホームステイ先とうまく行っていないことを話していた。水道光熱費について前の生徒の時の請求書まで持ってきて文句を言われたなど。その日の授業後、すぐ別のホームステイ先に移った。